魔法への抵抗感が摩耗する

 最近に始まったことではないが、TVなどで「スピリチュアル」というものを良く見かける。心霊現象とは違うのかもしれないが、前世がどうだったから現世がこうなんだと解説している。そういうものが、さも当たり前に受け入れられている。もっとも、それは人によって異なるのだろうけど。どうしてなのか分からないけど、そういう原理で人の世の中が動いていると理解している人が少なくないといえる。流行っているからこそ、新聞すら読まない私でも知っているのだろう。

 どうしてなんだろうか。義務教育が必ずしも効果的だとは言えない時代であっても、心霊現象が当たり前だという教育はしていないはずだ。地球が丸いということを知らない人が何パーセントいるというアンケートを時たま見かけるが、それは教えたけど忘れているだけだ。スピリチュアルが世の中の力だということを教えている学校はないだろう。老人が老い先短いからという理由で仏教に魅かれるというような理由で前世物語が流行るわけではない。それは、若い人が当然のごとく考えているのだ。なぜだろうか。

 そんなことを電車の中で考えていた。前の席には女子高生もおばさんもオジサンも若者も、眉間にしわを寄せて携帯電話をのぞき込んでいる。これがないと生きていけないと主張する人もいる。WWWを外で使う必要はないし、メールするなら電話すりゃいいじゃないか。そもそも、そんなに通信する内容があるのはすごいなぁ。オジサンのようなことを考える。

 携帯電話の技術は携帯機器のハードとソフト、アンテナ、基地局そしてそれを束ねるネットワークや課金などを含めた地上系はスゴイ技術の塊になっていることを最近読んだ本で知った。ダイやチップ製造の技術、スペクトラム拡散や符号化、電話を待ち受けながら音楽を聴いて、写真を撮ることができるソフトだけでなく、周波数のセル化、各端末の現在位置追跡のための技術、ホームメモリからバックボーンの通信回線まで気が遠くなる蓄積である。おそらく、目の前で啓太に夢中になっている人たちは理解できないだろう。バカにするわけではないが、全くその方面について勉強していないであろうコギャルはなぜ携帯がつながるのかなどとは考えたことがないだろう。と思ったときに、理解できた。なぜ、スピリチュアルが流行るのか。

 現在の技術のうち、複雑なものは理解できている人はほとんどいないのだ。しかし、それがなくては生きていけない人がたくさんいる。つまり、なぜ動くのかは知らないけど生活にとって必要なもので、かつ、それが自分の人生をガイドしてくれるものなのだ。それは、前世物語も携帯電話もユーザから見れば等価なのだ。彼らは、携帯電話と同じくらい現実的なものとして前世物語を使っているのか。技術革新は一人の技術が成長するうちにどんどん形態が変わるため、若い人が必ずしも引き継いでいるわけではないかもしれない。わから無いところはほっておいて、その上に自分たちの作品を重ねているだけ。そうなると、しばらくすると「なぜ動くのかは分からない」ものをベースにして、現実の技術を扱う技術者が増えることになる。そうならないように勉強するといっても、限度がある。そもそも、負け戦状況なのかもしれない。

 高度な技術は魔法と見分けがつかないそうだ。学者とちがって製品は高度になればなるほど「見えなくなる」「そう感じさせなくなる」ものである。高度であれば存在感が薄くなり、考える対象からはずされる。となると、結局、人に興味がもどる。その段階では江戸時代、鎌倉時代、もっともどって縄文時代の人が素朴に感じる「理由付け」が説明の主役になっても不思議はない。