都市の人の生活、精神的には捕らわれの身

 夏休みが7月から9月までの間に7日もらえる。各人の都合に合わせて設定すればよいことになっている。みんなが一斉に休暇をとるお盆の時期にとってもよいし、別の日にとってもよい。夏休みをとらないのでもよい。あれこれ言われるが、すべては自分で決めれば良い。そういうルールなのだ。毎年そうなのだが、夏に長期休暇を取ることはしない。何処へ行っても込んでいるし、高いし、何より暑いから。かといって、お休みを貰えるのは実に有り難いので必ずもらう。金曜日とか月曜日とかにぽつぽつ入れて、8月は週休3日になったりする。あるいは、なんでもないウィークデイにとって、町中を歩いたりする。

 社会人とうかサラリーマンというか、そういう都市生活になれとある強迫症にとりつかれていることに気付く。平日に休暇をとるとなんだか「申し訳ない」という気がして仕方ないのだ。あるいは、精神的に犯罪を犯しているような後ろめたさがある。まったく、合法的にしかもだれにも迷惑をかけてない行為なのに、他人が働いていると置いて行かれるような気がする。頭では「まったく勘違いな恐怖」だと理解しているのだが、晴れ晴れした気持ちにならない。休暇に対してかなり自由度がある仕事についた私でもこんな気分になるのだから、休暇など全くとれない会社に勤めている人ならば、休暇を取ることに対する恐怖はなみなみならないものだろう。あるいは、むしろ、普通の人に休みを取れるのが至上な幸福なのかもしれないが。

 休暇をもらっているときに感じる後ろめたさ。社会の人が働いているときに感じる申し訳なさ。そんな気分になると思う。自分はいつから「奴隷」になったのだろうか。精神的には奴隷の気分なのだが、それはなぜ感じるのだろうか。


 こんな内容の日記を去年も書いた。あれから1年近く経っているが、精神的には何も変わらなかったのだ。がっくりくる。あるいは、この生活について覚悟ができていないということだ。信じがたいくらい幸せな環境にいさせてもらっているのに、何かしっくりこない。そんな状況はだれでも同じなんだろうか。未来についてはどんな人も「ぼんやりとした不安」をもつものだと思うが、平日に有給で休んだときに感じる後ろめたさも同じなのだろうか。