学生さんの責任範囲は?

vietatofumare2006-10-14


 どこでもそうだと思うのだが、学生さんには2種類しかいない。やる気がある人とない人。家庭教師や塾講師などの経験がある人は同意してくれと思うのだが、やる気にない人に「教える」ことは不可能である。もちろん、あの手この手できっかけを提供することは可能であり、それが教師の価値につながるのだが、それとてケースバイケースだから決まった手法があるわけではない。つまるところ、恋愛と同じで「どうにかなると制御できるもの」ではないのだ、実際のところ。



叱咤する教師の存在
 職場における私のスペースは学生さんの研究室の一角を本棚などでしきったスペースである。ウナギの寝床のようなところであるが、本箱と机とパソコンがあれば成立する仕事でもあるので、十分過ごしやすい居場所である。学生さんのスペースとは壁でしきっているわけではないので、天井づたいに話し声が聞こえてくる。全く別の研究室の学生さんなので、かれらとは交流がない。まぁ、都会のマンションの隣人のような、エレベータに乗り合わせたおきに気まずい雰囲気があるが、挨拶はするという程度の関係である。話からすると、どうやら直属の助教授とソリがあっていない。彼の言い分もおかしなものだ。だれかと電話で話しているのが聞こえた。


 「旅行に行きたかったので、その間の実験設備の準備はやっていったよ。そりゃ完璧じゃないけど。先生には言わなかった。だって、言ったらやめろって言われるから。で、帰ってきてからというもの、先生は実験についてなんの話もオレとしないところが、別の学生さんと試験をはじめているんだぜ。確かに学会発表が近いからデータを取る必要があるのは分かるけど、旅行に行ったのだから仕方ないじゃない。もう、やになっちゃうよ。あの先生にとって徳にになるようなことは、何一つしたくない。」


 その後、その学生さんは怒りをこらえ切れず、助教授の部屋に文句を言いに行った。先生の部屋は私の部屋の前である。私は普段から廊下へのドアは全開になっているので、その先生の部屋のドアが良く見える。何やら学生さんと先生とが話しあっている声が、そのドア越しに聞こえてくるのだが、突然。「バカ野郎ぅ。普通の会社だったら、そんなことが出来るわけねぇだろうか」と怒鳴り声。いやー、扉が声の振動で揺れていました。まさに、堪忍袋の緒が切れた怒りのような感じ。さすがに学生さんも堪えただろうなぁ。


 虫のいい学生さんのいい加減な態度に先生が切れる。まぁ、十分あり得る状況ではあるが、私はちょっと気になった。怒ることは別に構わないのだが、その言い分である。「普通の会社ではありえない」という表現である。なぜならが、学生さんは会社員ではないのである。彼らは多額の学費を学校に支払い、交通費を支払い、食事の補助なしで研究室に通っている。先生が給料を払っているアメリカの大学院とは違うのだ。圧倒的に学生さんの立場の方が強い。今どきやる気満々で勉強も十分やってきた、そんな素晴らしい学生が学費の高い私立大学院に残っていることは、ほとんどない。絶滅寸前であろう。もっと言うのならば、いわゆる6大学の学生さんは、妙なプライドがあるわりには勉強しておらんのんで、圧倒的多数は、研究とは関係ない存在なのが実情なのだから、しかたないじゃん。(補足すると、そうではない理系大学院生の場合、素直に学ぶ心が残っている人が結構いて、そういう人はちゃんとした研究をする。そこが出身大学だけで判断できない難しいところ。)ダメそうな学生とやりそうな学生は正直ひと月も入ればわかるでしょ。なんで、そんな学生さんに大切な実験をまかせたのかなぁ、と思ってしまう。



怒りの矛先
 人として約束を破るのは良くないことで、信用失墜につながる。だから、それを正すために怒ったということを助教授は主張するかもしれない。しかし、これまで生きてきた私の経験からすれば、人を叱るときのクオリアは「純度100%の憎しみ」ですよ。腹立たしいから怒っているのだ。怒ることが心の会話の一形態だと思っているのは、ちょっと古い学園もののドラマを見すぎですねぇ。「いそっぷー」とかさぁ>古すぎ?


 まぁ、両者ともに「正しい」と言い切れる理由が私には思いつくので、学生も助教授もどちらも正しい行為なのかもしれないけど、まぁ、第三者まで後味が悪い結果になる行動は、やはりいただけない。全ての学生さんがハッピーになれそうな課題を設定して、それなりに成長して卒業してもらう。やる気がある人とない人で同じような成果をだしてもらおうとしたり、やり方を同じにするようなことをしても無駄ですよね。はたして、その助教授にそんな話をして、ちょっとは分かってもらえるかな? 無理でしょうかね。なぜなら、結局自分の意見が一番まともと思うのが人の常だから、私の意見もどこまで一般性があるのかわからないし、人によっては愚作ということになるでしょうから。