須賀敦子に魅かれる

vietatofumare2006-10-15


 良きにつけ、悪きにつけ、人は変わるなぁと身にしみる。それは、昔はピンとこなかった本がだんだんピンとくるようになったときだ。素晴らしい知識も、感動的な物語もないのに、地味な喜びを味わえてしまう。なぜでしょうかねぇ。読破した本の冊数を増やそう、いろんな本を読んで勉強しようという高校生のようなまじめさをもって本をよんできたのだけど、最近は未読の本が溜まっていてもきにならなくなりつつある。それより、あの本のあの場面が読みたいなぁと思うようになっている。これだと、読んでいる行為そのものは変わらなくても、新しい世界を知ることができないので損である。少なくとも、半年前ならばそう思っていたのだが、「スローリーティング」を読んでからというもの、読んだ本の冊数をくれべてもしかないなぁと思うようになった。いよいよ「量から質」への変換地点に達したのだろうか? それとも、情熱が涸れてきただけなのだろうか。


不思議な魅力


 今はこの本に魅かれている。
須賀敦子全集 第1巻 (河出文庫)
 もうすでに読んだことがあるし、文庫本も手元にあるのだけど、買っちゃうんだよね。無駄だなぁと思いつつも。須賀さんの良さは一般的には広まらんだろうと思うのだが、実際はどうなんだろうか? この人の本は、この人のバックグラウンドそのもの、高度成長期前夜の10年にわたる時期をイタリアで過ごしたその人生そのものがエッセイの主題だから、その設定に興味を持たれないとどうにもならない。小説と違って物語風に制御できない半生だから。それでも、私は魅かれてしまう。