イギリスに来て1ヶ月たったが

vietatofumare2007-02-01


英語の本場に住んで1ヶ月経った。日本にいて想像していた以上に英語が話せるようにはなっていない。我ながらびっくりする。なるほど1ヶ月も生活して上達しないのならば、日本で趣味で英語を勉強しても「多分趣味でしかない」ということで終わってしまうだろうと想像する。2週間のホームステイで何か得ることがあるとすれば、それは英語ではなく「ホームステイした」という自信であろう。もっとも、それが呼び水になって行動が変わるだからそれはそれで無駄ではないのだが、英語を勉強する方法としては1ヶ月程度の滞在はあまり効果がないと判断せざるを得ない。

上達しないのはお前の歳のせいではないのか? 確かにそうかもしれないが、比べる対象がないので何とも言えない。10年ほど昔、アメリカに2週間滞在したことがあった。その時は、研究目的でNASAのJSCに滞在したのだが、周りに日本人ばかりだったので英語で話す機会は全くといってよいほどなかった。当然、話せるようにはならなかったし、その後の自分の英語力に何かプラスになったことはないだろう。ここでも、自信というものがついただけ。言ってみれば「勘違い」であったのだ。そして、今回の滞在も仕事の内容がほとんど「プログラムを読む、書く」ということなので、基本的に英語で誰かと仕事中に交渉する機会はほとんどない。全くしゃべらないで済んでしまう日が結構ある。しかも、日本人の同僚がいて、仕事の会話も食事中の会話も日本語で済んでしまう。言ってみれば、日本にいるのと変わらないのである。つまり、今回も(そしてこれが私の生涯においてのラストチャンスだろうが)英語を「気軽に」話すようなことにはならないだろうと思う。

ただし、ヒアリングは向上する可能性がある。毎日何時間かはBBCを見ている。駅のアナウンスも英語である。なんとノロイと言われるかもしれないが、最近ニュースの内容が少し分かるようになった。来た当初、TVは「全く」分からなかったのだからちょっぴり向上したのだ。駅のアナウンスも聞き取れる。ただし、「無意識に」という分けには行かない。アナウンスが頭に入ってくるのではなく、自分から情報を聞き出そうとしている時だけであるのだが。慣れると聞こうと意識しなくても情報が頭に入ってくるようになるのだろうと想像する。日本語がそうだから。ともかく、聞く能力は向上しているのだ。日本に帰ってからの生活を考えるならば、読み、書き、聞きができればOKだろう。確かに英語で話す必要があるときがないとは言えないが、それはたまにやって来るお客さん相手に一言二言しゃべればいいだけだから、対した問題ではない。

それと、外人という存在に慣れたようである。こちらの会社に出社した日に「マジ黒人」を見て感動してしまった。差別的な意味で使っているのではない。映画やTVで見る「バンツー・ニグロ」「スーダン・ニグロ」というタイプである。パソコンをたいている。上手な英語を話す。日本で抱くインターナショナルなイメージには、この手の人たちはあまり入っていないようであるが、ブリテンはマジ・インターナショナルなところだら「インド・ヨーロッパ、アフリカ、チャイナ」といった国の人が普通に違和感なく一緒に「ブリテン人」として生きているのには驚く。この感触に慣れていくことも、人生の勉強になるなぁと思っている。1ヶ月経つと、そういう人たちの間に埋もれてエレベーターに乗ったり、トイレに並んだりすることになんの感触も抱かなくなる。少しはなじんできたかなと思う。英語のしゃべりは、ある意味諦めてしまい、この「ワールド感」を楽しむことにしよう。よくよく考えれば、ガンダムの世界も宇宙・ステーションの世界もみんなこんな感じのところだったはずだ。アムロって大体何人なんだ? ふと考えながら街を歩いている自分に気付く。「僕は日本人だから隼人と同じ立場だな。」

もう一つうれしい事がある。英語のニュアンスがたまに「感じられる」ようになってきた。Have + 過去分詞。このニュアンスがかなりつかめてきたと思う。全く勘違いかもしれないが、自分なりの味わい方が身に付いてきた。英語は「状態」の表現が中心なのだ。Have + 過去分詞(PP)のPPは「状態」なのだ。すると、After you've gone という文章の意味は「あなたが(行ってしまった)という状態を身に着けたあと」ということで、要するに過去形になっている。それそれは、一過性(つまり時間の流れが必要な)行動を行っているのではなく状態を表現している。だから、次の状態に変更したということを耳にするまでは「行ってしまった」という状態のままなのだ。こう理解すると、時間の流れを表現したい場合以外は、過去に記述であっても仮定法(Have + PP)を使うことが多いはずなのだ。こうすると今までもっていた疑問が結構解ける。そういう理解を積み重ねると、英語そのもののニュアンスが「ダイレクトに」頭に入ってくる。もやは日本語を通過することなく意味が分かるようになる。

言葉は「クオリア」の表現である。言葉=個人的な感覚・感情である。それがダイレクトに脳の中で返還されるようになれば、ヒアリングは上達するはずである。今までは「視覚的に」話し言葉を理解していたので分からなかったのだ。聞いた文章を「文字で表現しなおして」それを頭の中で「読んでいた」のである。だから、いつもメモリが足りないと感じていた。この方法では「無意識に理解する」ことは不可能である。ところが、最近は、もちろん限定的だが、言葉が感情に直接結びつくようになった。BBCを見始めて3週間くらいしたとき気付き始めた。1ヶ月の今でもまだ腹立たしいくらい理解できないが、部分的にはアナウンサーの言葉をダイレクトに理解できてきた。もう少しである。だとすればだ。CSでBBCニュースを1日4時間見続ければ、30日あれば少し変化するはずだ。おそらくだが、3ヶ月すれば聞き取れるようになるのではないか?しゃべる機会は今の私もほとんどないのだから、日本にいながら同じことをやってもいいはず。帰ってから、1日1時間のBBCは義務づけたい。

今日から2月である。内容のあるエッセイを書く練習もかねて、今日からはきちっと考えたことを言葉にすることにする。