アッシリアン・エラーとでも

vietatofumare2007-02-02


 週末には大英博物館に行くことにしている。イギリスの電車賃の初乗りはバカみたいに高い(500円くらいする)ので、電車でロンドンを巡るときは必ず「One Day Travel Card」という一日券を買うことにしている。これでもギルフォードからロンドン市内乗り放題つきの往復で14ポンドする。3000円である。高い。急行にのれば2駅、時間にして35分。近いのである。なので朝ご飯をたっぷり食べて、昼抜き、夜をサンドイッチにすることでバランスさせる。なに、朝飯だけでも死にはしない。

 アッシリアレリーフは何度見ても感動的である。いや、そう思っている人はどれだけいるか知らないのだが、少なくとも大英博物館で一等地を与えられているので客観的な評価も高いはずである。かれらは紀元前の人たちである。ローマよりもギリシャよりも昔の人。中東はそんなに住みやすかったのか、やたらいいものが王宮に飾ってあった。今は結構破損しているし色も落ちてしまっているが、昔は綺麗だったのだろうなぁ。綺麗なものが街にあふれている現代のロンドン・東京・ローマを見たことがある私でも、アッシリアレリーフのレベルは高いと思う。損なものが無かった3000年以上前ならば、神のごとき技であったであろう。岩に彫ってある「アッシュ・パニバル」さんの衣装など、細かすぎて「いい仕事しているなぁ」とため息がある。

 そのレリーフを見ていていつも不思議に思うことがある。十分な彫刻技術がありながら、なぜ人間は全部無表情にしてあるのか? これは明らかに「意図的に」そうしている。ライオン狩りのシーンで矢が体に刺さって傷ついているライオンの表情など、かわいそう、と本当に思ってしまう。今の人だって、そんなの彫れるのかどうか怪しい。つまり、感情を湧き起こす技も知っているし衣装の繊細な模様もほれる彫刻師が、人間の表情をほれなかった訳がない。なぜだろうか? ひょっとしたら人間に興味がなかったのか? 例えば写真にある人の手を見て欲しい。実は両方とも左手になっている。両方とも左手になっているレリーフは探したけど何ヶ所がある。これは意図的にやっているのかどうか。

 これをレリーフを何分くらい見ていたのか。1時間は見たかな。ちょうど日本人の団体さんとガイドさんがやってきていろいろ説明していた。そこで「昔は綺麗に彩色されていた」という説明があった。なるほど、これだけのレリーフがきちんと彩色されていた「スゴイシーン」であっただろう。普通の人はびびるだろう、いや、ひょっとしたら怖いと思うかもしれない。そこで、一休さんを思い出す。人間の表情がリアル過ぎると、おそらくそれは「人」であり「神」になってしまうだろう。ひょっとしたら、王が最終決定権を持つためにレリーフの中の人には「神」にさせないようにした。だから、無表情なのか。そんな、仮説を考えて一人楽しむ。その頃に日本は縄文。火焔土器は衣装としてずば抜けている。けれども、、、、。

 それにしても、自分がこの時代にいたら何をしていていたのだろうか。きちんと仕事が出来たのだろうか。たまたま現代の日本に生まれ、自由に生きてこられたから幸せだったようなものだが、そういう「背景」を抜き取られた自分はアッシリア人ほどの何かを持っているのかと、ふと考え込んでしまう。まぁ、アッシリアでもほとんどの人は損なやくまわりの社会地位にいたのだと思うけど。実際彫ってみると難しいものなのだろう。当然やってみたくなる。日本ならば東急ハンズあたりに行けば何かありそうだが。