なぜ聞き取れないのか

vietatofumare2007-02-19


 もういい加減に英語が上達してもよさそうな気がするがその気配はない。当たり前である。なぜなら、英語を話すことなく仕事をしているからである。基本的にアルゴリズムを考えて、プログラムを書き、データを取り、レポートにする。その間、人と相談する事もあるが相手は日本人なので日本語ですむ。朝食の時とホテルのフロントで挨拶をするのが唯一の英語という状態である。3ヶ月も留学出来る機会を得たのだが、なるほどいろいろな状況がありうるものだ。しかもこの文章も日本語。

 一方聞き取りはどうか。少し上達したような気がする。ただし、以前どの程度の聞き取り能力だったのかはわからないので、はっきりしないのだが。仕事の上で上達のしたのではない。ホテルの部屋でTVを見ているからである。BBCが中心だが、ITV1、Channel4、SkyNewsという局が受信できる。BBC1と2があるので計5局。一日3時間くらい見ている。ニュース、ドラマ、お笑いなど。ちなみに、BBCNHKと同じようなものかと思っていたが、かなりちがう。日本の民放もぶっとぶような番組も平気に流している。このあたりは見ている人の精神年齢によるのであろう。話がそれたが、しゃべりより聞き取りの方が上達する可能性が残されていると思うので、しゃべりについてはスパッと諦めてくよくよせず、どうすれば聞き取れるようになるのかに時間を使うことにする。まだ30日以上ある。

 最近気がついたことがある。自分の癖だだっと思うのだが、これまでは人の話を「聞こうとしていた」のではなく「見ようとしていた」のである。TVを見ているとき、アナウンサーの「口」にしか見ていなかった。何人登場しても常に「口」を凝視し、何を言っているのかに神経を集中するばするほど「口」を見ていたのだ。なぜだろうか。考えてみれば英語に接する状況というのは、本・論文・注意書きを目にして情報を得るときか、映画やTVの字幕かであった。それらは「見れ」ば情報があった。だから、聞き取りのときも「無意識」に見ようとしていたのではないか。

 人間の脳において、言語の処理としっても「読み書き(文字)」と「聞き話し(音声)」とははっきり別れているということを読んだことがある。音声と文字という全く別の物理現象を脳のなかにおいて「シンボル」を共有させているのだと。ということは、これらを処理するのは「別」なのだから、間違った使い方をしてしまう可能性もないわけではない。ちょっと比喩的に話せば、なぜ私が話す人の「口」あるいは口の動きを凝視していたのかというと、言葉を「見よう」と努力していたのではないか。なぜなら、これまでの英語の理解は最後は文字(とくに文法上の理解)だったから。そして、言葉を見た後に文字を理解する部分の脳への入力にしようとしていた。でも、いくらがんばっても口の動きが字幕になるわけではない。これは、もちろん仮説なのだが。

 だとしたら、訓練としては音声は音声として受け取る、ということである。今やっているのは、TVで話す人を見るとき「口」をみない、目か顔全体か画面全体を見るようにすることである。もう一つは、言葉の意味を理解しようとしないこと。理解しようと努力すればするほど音を聞き取っていないから。そして、単語を単語として「認識」できるようにし、頭のなかで音で復唱する。これをやると全く内容が分からない。ただし、どんな単語が並んでいるのかを判別できるようにはなる。意味の判断を諦めているので音声認識の部分しか意識していないため、単語の並びはかなり聞きとれるようである。自分でもちょっとびっくりしている。

 言葉はクオリアである。そう茂木健一郎さんの本で読んだ。クオリアならば理解章という努力の範疇ではない。いつか知らない間に感じるようになるはずである。