下手くそだからこそ博物館で展示されるということもある

vietatofumare2007-03-04


 物には順序がある。下手くそから上手になっていく。いきなり上手にできるものなどない。いや、自分はそんなことはない。そう思うこともあるかもしれないが、手を動かす作業であれば、やっぱりうまくいかない。練習という期間が必要だと身にしみるはずである。試しに楽器でも弾いてみるといたいほどよく分かる。

 ところがエジプトは違う。かれらは苦労の結果というもののを残していない。エジプトには相当数のピラミッドがあるのだけど、有名はクフのピラミッドは3番目といわれている。考古学者がそうだというのだから素人がなんとも言えない気がする。3番目がベスト。それ以後のものは足元のにも及ばない。そんなことがあるのか、といわれても「ある」のだから仕方がない。そういうことになっている。しかし、私の好きなハンコックという作家は「そんなわけねぇだろう」という内容を『神々の指紋』という本で展開した。ところどころに誤りがあるということだが、自分の信念を単にひけらかしているのではなく「おかしいだろう?」という事実を集めて説明を行おうとしているので私は好きである。

 で、実際エジプト文明の展示品を大英博物館でみると、ハンコックの気分が少しわかるような気がする。といっても、彼とはちがって大分卑近なものを例にとるのだけど。それは、彼らは「天才」でなく、努力して技術を獲得しているという一端を垣間見たときにそう思うのだ。添付の画像は超下手くそなヒエログリフである。あまり拡大できないので分からないかもしれないけど、実に下手くそ。もう、どうしたらこんなもの作れるのかと笑ってしまう程である。ただし、実際私が見様見まねでつくったらこうなるかもしれない。それはすなわち、彼らも私と同じような人間なのね。そう実感できる。

 良く見ると、途中で失敗ヶ所を失敗ヶ所をぐちゃぐちゃにしている。顔が下手、というか、顔になっていない。そもそもヒエログリフが「なっていない」。素人の私でも「なっていない」と叱りたくなる。ということは、彼も叱られながら上手になったのかもしれいない。時代が時代だけに、失敗したら殺されたりするのかもしれない。とすれば、かなり本気で学んでいたと思う。幕末の佐賀藩のような感じだったりしたのかもしれない。とにかく訓練して、一人前になったのかもしれない。

 とすると、問題になるのは「教師」の存在と「勉強過程」の存在である。これはらどうしても必要なのだ。なぜなら、人は生まれつき何かができるわけではないのだから。それではどうして文明の要素たるピラミッドの建築やヒエログリフのルール作りなどに悪戦苦闘している過程が残されていないのか。ハンコックならずとも疑問に思うのものである。そんなことを考えながら大英博物館を巡ると楽しいですねぇ、ホント。