結論、持っていますか?


自分の行動を書くな
 なぜ、普通の人のブログはつまらないのか。その理由は書く事柄無いのに書くという行為をしているから。実は、そんな程度の問題なのではないか。文章読本を読んでも、上手なブログの書きかたを読んでも、ましてやビジネスライティングや表現訓練を読んでも、決して面白い文章を書けるようにはならない。そんなことをこの本を読んでいて気がついた。
<不良>のための文章術 (NHKブックス)
 この本についての個人的なメモ。 http://www.significa.jp/scienza/books/2007/05/post_344.html

 ついつい自分のことについて書いてしまう。その動機は2通り考えられる。

(1) それしか書けることがないから。
(2) 自分について知ってもらいたいから。

 何かを書いてみようとう衝動を消化するためにブログを始めるとすぐにネタがなくなってしまい、しかたなく自分の行動をトレースすることで浮かんでくる内容をかいてしまう。だからブログは「〜の日記」というタイトルが多い。このブログもそうだ。小話一つでも書ければいいのだが、いつもそんなことを考えていることもできないので結局日々の行動をつらつらと面白おかしくなるように書いてしまうというクセがついてしまう。こういう事をつづけていると、いつもまにやら自分のことを書いてしまう。「最近〜がマイブーム」とか「〜に行って戻ってきた。そのことについて」とか。ネタがないからという理由の埋め草だったが、無意思下において「他人の視点からこう認識されたいという自分像」を表現してしまう。こうなると、ダメな理由が(1)と(2)とそろっているので良くなる見込みはない。いくら継続しても、他人からみて面白いものが書ける可能性はあまりないだろう。

 文章を読む行為は、読む人の考える行為を強制的に操作することである。自分が考えているわけではないのに、頭に他人の価値観が飛び込んでくるから恐ろしい。読んでいると気持ち悪くなったり、恥ずかしくなったり、腹が立ったりする。これが、自分を含めて素人が書く文章の欠点である。

 では、どうすればいいのか。さしあたって、自分の行為は書かないことであろう。そして、なるべく文章を読むことが「価値観と関係なく自然に体験した事実」というようなものにすること。感情を押し付けるのではなく、感情が発生した状況を淡々と語ればいい。何かを実体験するときに演出はない(音楽とか形容詞などの修飾)。それなのに、自分はなんらかの感情をもったのだから、他人もその環境に置けばなにかを感じるであろう。そして、それが一般的なことならば読んだ人はあなたと同じようなものを追体験するだろう。文章を論理的に構成し批評を加えれば、それはエッセイになる。

 あくまでもこれは仮説である。今後はこの仮説にそってみる。「今日は晴れた、だから皇居の芝生にねっ転がっていた」というような日記は、有名人ににでもなったとき以後にとっておくか。