最後は物語が上手かどうか


物語って聞くものだと思っていたが
 物語として語るには、ウソでもいいから面白くという意味がある。ちょっといんちき臭い感じ。しかし、小説でも映画でも、事実ばっかりだったら面白くも何ともない。だから物語は事実をストレートに伝えることが善だと考える上では必要悪というになる。ちょっとオーバーな話だったり、話がうますぎたり、そんな物語の登場人物のようないい人いないぞ、とか現実にはあり得ないだろうことを語って喜んでもらう芸能の一つとなると、それができるのは「芸能人」ということであって、市井の人はあまり関係がない。そう考えるのは普通のことでしょう。

 興味をもって人に話を聞いてもらうためには、なんだかんだいっても「物語」でないとダメなのではないか。いか、物語のほうが特だろう。面白ければ聞く人が「聞いている」ことが明らかな状態で話せるし、話した内容は覚えてもらえるし。人がそういう性質もっているのならば、それに合わせないと「現実問題、ダメでしょう」となる。ならば、話すこと全てを物語にしていけないか。ということがこの本に書いてある。

ビジネス詩集である。
プロフェッショナル進化論 「個人シンクタンク」の時代が始まる (PHPビジネス新書)
この本についての個人的なメモ。 http://www.significa.jp/scienza/books/2007/05/post_348.html

 例えば物語る能力とはこんなときにでてくる。キーワードを探して、そこから一つの話を創造する。例えば、ブログ、団塊世代、起業、といった言葉が目に入ると「そういう世代の人が自分のノウハウをブログをもとに構成して、起業をするのか?」とか「起業を考えている人がブログをいろいろ見ていたら、団塊世代をターゲットにしたものを思いついた」とか、いろいろ創造できるのだが、それを映画のように話すことができれば、単に「論理思考」で説明を押し通すよりいいですよね。なるほど。

 そうは言っても、この能力、どうやって身に付けるのか。作家になれるとは思っていなかった人ならば、今からやれと言われても難しいだろう。素人は素人なりに始めても、成長が遅いです。とくに30過ぎると。30代後半で写真を趣味として初め、われながらちょっとよいと思われる写真をとったとしましょう。例えば、これ。

Pelargonium

 でも、ぜんぜんダメなんですよね。他の上手な人と比べると。おそらく、文章でも同じでしょう。社会人になってずっとすきで物語を書いていてあるときデビューした人はたまにいます。それがびっくりするくらい面白い人もいます。例えばこれ。

キャラたちまくりである。
チーム・バチスタの栄光
この本についての個人的なメモ。 http://www.significa.jp/scienza/books/2007/04/post_337.html

 へぇ、結構できるもんなんだという意見も、例外でしょうこれという意見もあります。でも、普通に考えれば若い頃からずっとやっている人のレベルに達するのは天才でもないかぎり同じくらい時間と集中力をかけないとダメでしょう。歳を取るうちに身に付けた経験なんて、そうそう意味のあるものにはなりません、多分ですけど。

 で、落とし所が必要になります。結論ですが、「そうは言ってもやりゃいいじゃん。誰の人生でもないんだから」。パスカルの賭けに似てきます。神がいるかいないかわからないが、いなければそれでいいけどいたら死後損する。だったら、神はいると信じようというもの(この理解は正しくはないそうですが)です。人間弱いです。「ひょっとしたら」という魔力。宝くじと同じ。競馬と同じ。パチンコと同じ。買わなきゃやらなきゃ、絶対に当たりません。でも、やっても無駄なんです。それでも、やってしまう。上達しないと知っていても、わずかに成功した例が自分にも振りかかると信じてやるんですね。私は普通の人です。私もやってしまいます。であれば、ほとんどの人はそうする。

 人に話をするとき、面白いように話す。でも、ウソはつかない。それで訓練する。これ以外によい手ってあるのだろうか。