壺絵

vietatofumare2007-02-13


 地味であるが、ギリシャの壺絵である。しかもブラック・フィギュアというタイプ。紀元前700年前くらいからあるらしい。壺に鉄を含む着色剤をつかって人物が塗ってあるので「ブラック(黒い)・フィギュア(人の絵?)」。背景は土の色である。紀元前500年代に入ると背景を黒く塗ることで人物を土の色にするレッド・フィギュアというものになる。アテネで発明された方法らしい。こっちの方が新しい分いろんな美術館で見かける。その事実一つ知っていると、坪絵をみるときちょっとうれしい気分になる。単純にいえば反転させただけの話なのだが、「お前が考えられるのか?」と言われれば多分無理だっただろう。そんなことを考えながら眺める。

 ギリシャの壺絵をご覧になったことはあるあろうか? 人物画が多く、女性の絵はほとんどが一昔前の少女漫画のキャラクターである。私が何をいっているのか、よくわらかない場合はギリシャの壺絵とでもグーグルで調べてもらえば良い。少女漫画以外のなにものでもない。あの時代の作家はおそらくギリシャの坪絵を範にしたのであろう。あるいは、2500年を越えたシンクロナイゼーションか。いずれにしても、日本人も古代ギリシャ人も同じようなものが好きなわけで、なんとなく親しみを覚える。日本の平安絵巻を見ても親近感を全く感じないが、この壺絵には感じる。

 アキレス(右の人)が将棋を指している。トロヤ戦争のテーマの登場人物たちはあまりにも有名で、要するに日々の生活のなかで「その辺にいる」と見なされていたのかもしれない。アイドル歌手や人気のタレントの動向をニュースで見て、学校でそのことばかり話している高校生がもつ「実際問題知らない人だけでど、他人の気がしない」という感覚である。ギリシャの人はこのような坪絵を見ながら生活を送っていたのだろう。真っ青な空の下に広がるエメラルドグリーンの海を見ながら真っ白な家でね。いいよなぁ。そして、アクロポリスの神殿にお参りし、ワインを飲んで、将棋を指す。いいよなぁ。

 大英博物館にはこの手のものがthousand of あるといっている。本当であろう。そして、いいものが陳列されている。それらを楽しむ方法も絵画を楽しむのと同じ方法を使うと良い。とにかく、長く見て見る対象を見つけてじっくり見るのである。博物館は知識を得る場所というよりも、驚いたり感心したり楽しんだりする場所である。見ることで何かの技を取得することはできない。技はやってみなはれ、以外の方法で獲得できない。人にもよるかもしれないが、何かをするにはゴールが見えていないと難しい。博物館ではそのゴールを探せばよい。こんなことができるんか、おれも作ってみたいなぁ。そのとき、何が問題なんだろうか。そんなことを考えながら見るのである。

 アキレスが手のひらを上にしている。「さぁ、早くさせ」と急かした直後の様子なのか。それとも「そうきたか」という驚きの表現なのか。もし自分が将棋のを絵を壺に描くとしたらどうするのか。なんで槍をもって将棋をさしているのか。将棋じゃなくて戦争してんだろあんたたち。などといろいろ考えながら時間を過ごす。一つ見るだけで結構時間がかかる。大英博物館でよく見ていないところはまだまだ残っている。